産婦人科のウラ 樫野貴之

2013年05月09日

第5話 緊急帝王切開の話(後編)


とにかく緊急帝王切開の準備は整った。
私はまず、助手になってくれる上司に現状を説明し、手術を決めたモニター、特に危ない所のモニターを見せる。

「ああ、これじゃしょうがないな。何時出棟なの?」
「23時10分です」
「じゃ、適当にオペ室に行くよ。」
「頼みます。」

そんな感じで上司は自室に戻っていった。

さて、手術承諾書は先程書いてもらっていたので、リストバンドを確認し、患者とともに手術室へと向かう。
長い廊下を家族と一緒に進み、エレベーターを乗り継ぎ、手術室の患者用入口に到着。
手術室の看護師が迎えてくれた。

「○○さんですね。こんばんは。大丈夫ですか?」

オペ室の看護師は患者とのやり取りを開始した。爪にマニキュアがないか、長時間同じ体制にいて問題ないか、褥瘡(床ずれ)はないか、など色々な確認をする。家族は手術患者待合室へ案内されて手術終了まで待機。私は医療従事者用の入口から入って手術着に着替える。
淡青色の手術着、白い靴下、帽子とマスクを装着し、手術場に入る。手術室はいくつもあるのでどこで手術をするのかわからないことがあるが、大抵準備中の、少し明るくなっている所が今回の手術室だ。今回も2号室か。ま、いつも帝王切開はここでするのが通例だ。

中に入ると、麻酔科の先生が麻酔器と使用する薬の調整をしていた。なれている作業とはいえ、普通に使うと下手したら死んでしまうような劇薬ばかり。実際の産婦人科ではほとんど使わないものばかりだ。

「先生、今日もすみません。よろしくお願いします。」
「はーい。よろしくお願いしますー。」

正直、夜中の緊急帝王切開は結構ある。薬品の処理をしながらむこう向きで挨拶をする麻酔科の先生も慣れたものなのだ。
こんな感じのやりとりで済んでしまう。
さて、そうこうしているうちに患者が入室してきた。

「○○さん、こんばんは。麻酔科の△△です。今から麻酔をかけるのですが、眠くなる麻酔の他に背中からチューブを挿入して、痛み止めの麻酔もしますね。」

麻酔科の先生は、患者に麻酔方法を説明し始めた。「全身麻酔」と「硬膜外麻酔」なのだが、概念が難しいので少し説明しよう。

「全身麻酔」は完全に眠ってしまう麻酔。実はそれだけで手術は出来る。
しかし、術後の疼痛コントロールを考慮し、体のある部分からある部分までの痛覚のみを遮断する「分節麻酔」、つまり「硬膜外麻酔」というやり方を併用することで、術中、術後のコンプライアンスが良くなる。どういう事かと言うと、術中は「全身麻酔」+「硬膜外麻酔」で意識の低下+胸の乳房〜下半身全てまでの痛覚のみをなくし、術後は意識は覚醒状態+「硬膜外麻酔」のチューブから持続的に流す麻酔薬を多少減量することによって下腹部のみの痛覚をなくす。それにより、術後一番辛いであろう当日と1日目の傷口の痛みをなくしてしまう。

なぜ、そんなことをするかと言うと、術後の合併症(この場合、主に腸閉塞)を防ぎ、早期に回復してもらうためである。
我々医療者側は、術後の様々な合併症を予防するため早期離床を促している。早く立って歩いてもらった方が、術後の回復が早いのだ。昔は、術後安静にしていることが多かったが、近年このやり方が主流になってきている。効果もなかなかのものだ。
もちろん、このやり方は超緊急手術には向かない。多少時間の取れる場合のみ可能だ。

さて、患者と麻酔科医、看護師が「硬膜外麻酔」のための準備を始めた。
手術台の上で横に寝そべりつつ、膝を抱える体制を取る。ざっくり言うと、「体育座りの横向き版」だ。背中を消毒し、局所麻酔をかけ硬膜外チューブを挿入するための特殊な針を刺す。硬膜の外側に達したのを確認後、チューブを5cm留置で固定。テープで固定後、元の仰向けの体位に戻る。チューブから局所麻酔薬を入れ、麻酔薬の効きを確認し、酸素吸入を開始し麻酔のスタンバイOKとなった。 

その間、我々術者は「手洗い」を行う。既に助手である上司は手洗い場にいて「手洗い」を行っていた。
少しだけ特殊な手順で、無菌ブラシと滅菌水を用いる。肘より少し上まで2回ほど洗浄、消毒し、手術室内へ戻り手術衣を装着する。最後に無菌の手袋をし、準備完了となる。

患者が仰向けになっている横に我々が立つ。私は患者の右側、助手は左側だ。
術野を消毒し、清潔な覆い布をかけ術野を固定化する。器械出しの看護師も準備出来ている。
新生児を受け取る側の助産師もスタンバイOKだ。

「では、○○さんの緊急帝王切開を始めます。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。」

手順は下記のようになる。

1.「メス」
臍下正中縦切開(へそ下から縦に大体12cm位切開を入れること)で開始。皮下組織とともに脂肪層切開と腹直筋筋膜の一部を小切開。

2.「コッヘル」「クーパー」「筋鈎」
小切開した筋膜を挟鉗し筋鈎で術野を確保。クーパーで筋膜を切開。臨月期の腹直筋は左右に離開しているので、用手的にそのまま離開する。

3.「小鈎ピン」「メス」「クーパー」
離開した腹直筋下は退化した腹直筋筋膜と腹膜が一緒になっているため、鈎ピンで把持し
腸管を把持していないことを確認し、メスで小切開を加えクーパーで切開。腹腔内へ至る。

4.「開創鈎」「膀胱側板」「摂子」「クーパー」
眼下に大きくなっている妊娠子宮がある。術野を開創鈎で広げ確保。下部は膀胱側版で保護。子宮下部横切開で子宮広間膜を摂子で把持しつつ、クーパーで切開を加え、左右に約10cm切開。

5.「メス」「コッヘル」
メスで子宮筋層を切開し、羊膜ギリギリまで露出。ここで胎児の頭が見えてくる。羊膜が出たら用手的に筋層切開層を広げ、コッヘルで羊膜穿破。胎児の髪の毛を確認。
ここからは用手的に羊膜を広げ胎児の頭の下に術者の右手を挿入。助手に子宮頂部を押してもらう。やはり術前診断の通りだった。胎児の首には臍帯が2廻りしていた。そのせいで臍帯は通常より長くなっていた。子宮から胎児を娩出し、素早く胎児側の臍帯をコッヘルで2箇所挟鉗しその間の臍帯を切断。

「オギャーオギャーオギャー!!」

無事に元気な第一てい泣を確認したら、すかさず新生児を助産師に渡す。後は助産師が気管内羊水を吸引し新生児が呼吸しやすくしつつ、Vitalの測定、アプガールスコアーカウント良好を確認しつつ、低体温にならない様管理する。その後、新生児を患者に見せ、その小さな手を触ってあげるように誘導する。

「無事に生まれましたよ。元気な男の子です!先に病棟に戻って赤ちゃんは管理しますね。お父さんにも見てもらいますからね。」
「ありがとうございます!」
「それでは、今から眠くなるお薬を使いますね」

大体この時、患者である母親は泣いてしまうことが多い。
それもそのはずだ。長時間陣痛による痛みに耐えながらも、なかなか産まれてこない我が子。
周りには急かされるわ、夫は頼りないわで孤軍奮闘している自分。
医師から急に「手術」と言われ、何がなんだかよく分からない状態で気が付けば手術台にいて手術を受けている。
手術中の音は全て聞こえるのに、何が起こっているのか全く見ることができない不安。
そして、ついに案じていたその子が元気に生まれて来れたことを実感する最初の対面。

産声を聞いた時から最初に会うまでの間は、母親は祈る。

「元気でいて!」

我が子の、そのあまりにも小さい手は母親の人差し指をしっかりと握りしめている。

「よく産まれてきたね、頑張ったね、ありがとう。」

握り締められて初めて元気に生まれて来たことを実感するのだ。


この後、麻酔科と助産師と産婦人科医は、手術終了までの間、それぞれの仕事をこなす。
麻酔科医は、静脈麻酔薬を用いしばらくの間患者に寝ていてもらう。我々は、胎盤を娩出させ、子宮内の止血を確認し、子宮切開創を縫合、閉腹するまで型の如く進める。助産師は、新生児を父親に見せて新生児室へ向かい一所安定するまで管理をする。
Vital音だけが響く静かな手術室。ひたすら黙々と、丹念に。

この工程がひとまず終わって、患者の意識も覚め、無事病棟へ戻ってはじめて、我々は仕事を終えたと一息つく。

よくやったな、俺。
せめてこの瞬間だけは、そう思わせてくれと、思うのだ。
posted by 樫野貴之 at 23:38| Comment(1) | 産婦人科のウラ
この記事へのコメント
初めまして(^^)
二児の母で、1人目を緊急帝王切開 2人目をVBAC4日陣痛からの緊急帝王切開で出産しました。
1人目の時は正に、何が起こってるのかわからない不安でいっぱいでした〜。そして、術後の痛いこと!今までで一番痛かったですね。陣痛よりも笑
2人目は絶対に自然分娩で産みたいと頑張ったのですが、骨盤が小さくて開かない体質らしく、子宮口全開まで行っての手術になりました。悔しかったです。
このブログを読んで、あーあの時こんな事してたんだ!て想像できました(^。^)

にしても、自然分娩で産んだ友達に言われた一言未だに忘れません笑
よかったね〜帝王切開で!
次はわたしも帝王切開がいいなー!
だと!
どうぞ。切ってもらってくださいな(・∀・)
Posted by さくら at 2013年11月22日 21:30
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: