産婦人科のウラ 樫野貴之

2012年02月08日

第一話 レイプ

婦女暴行は、夏場や夜間当直時に依頼が多い。一般の疾患とは違い産婦人科と警察が関与する”事件”のうちの一つだ。医師の役割は、科学的根拠による事実確認やダメージケアだが、診察手順やその判定は難しい。

2009年、夏。
とある市中病院の産婦人科。

日勤業務を終え、18時頃からいつもの通り当直に入る。
夜間の処置や分娩等、今夜の決められた業務を淡々とこなしていた。

ここは俗に言う「一般総合病院」である。
私はそこに勤める産婦人科医だ。

一般総合病院とは、いつ生まれるか分からない分娩と、救急車を診る病院。簡単に言えば「幅広く何でも診る病院」である。お産も取り扱えば、一般婦人科、2次救急にも対応する。
日中の産婦人科医師の仕事は、様々ある。まずは外来業務。普通の妊婦から合併症を持った妊婦や、一般の婦人科疾患から癌患者までありとあらゆる患者を診察。次に入院業務。分娩や手術、癌患者への抗がん剤の処置や処方をする。外来、入院以外にも、やれカンファレンスだ会議だ研修だと、いつも忙しい。

しかし医師達が苦労するのは、日勤帯の仕事ではない。
週に1〜3回、当直業務というものがある。当直とは、日勤帯の業務後の準夜帯(17時〜0時頃)、深夜帯(0時〜9時頃)の「居残り業務」の事である。
やることは日勤帯の延長だ。分娩、緊急外来、病棟処置、救急車応需、緊急手術など、さまざまな仕事がある。一応仮眠は取れるが、24時間勤務。さらに、翌日も通常勤務をこなすため、合わせて結局36時間となるのが普通だ。

この日も、そんな当直業務の最中、朝方4時頃、事務から電話が入った。

「先生、警察署の方から電話が入っております。」
「診察依頼ですか?」
「事件のことで、依頼の電話です。」
「では、繋いで下さい。」

私は「また出たか。」とため息をつく。
当直帯での「警察から電話」は、十中八九「婦女暴行事件」の診察依頼だ。
大体気候が良くなる頃や暑い時期、浮かれた連中がこうした犯罪に走る。
被害者の事を考えると、いたたまれない、やるせない気持ちになる。
そして犯人には「この人騒がせ野郎!」と思う。
いらぬ当直業務も増えるし、睡眠妨害だ。

警察が求めているのは、捜査上の必要な物的証拠の確保だ。我々医師は、その物的証拠の為の診察をする。連絡から1時間経つ頃、婦人警官と共に被害者が来院した。すでに警察内で被害者への事情聴取は済んでいる。婦人警官から詳しい状況を聞いてから、診察にあたった。

被害者は、22才の社会人女性。通勤の帰り道に襲われてしまったという。
被害者に、内診台に上がってもらう。チェックすることは、主に次の3つだ。

1)外性器に外傷はないか、出血はないか。
2)膣内の裂傷や出血はないか。
3)膣内残留物はないか。

そして、警察に提出するための検体キットの採取をする。最後に、膣内残留物や怪しいところを拭い、顕微鏡で精子がいるかどうかを確認する。

私は被害者に訪ねた。
「被害にあった時刻から、時間が結構経っていますね?」
被害者は頷く。
「警察の話だと、時刻は夕方6時間頃のようですが…相手は最後、どうしましたか。」
「…どうって…?」
「最後、精液を中で出したか、外で出したか、ということです。」
「…あまり…良く覚えていないです…。」
「今の所、体内には精子が確認出来ないのではっきりとした証拠はありませんが、皮膚には小さな傷がありますね。結構、抵抗しましたか。」
「…はい。でも。…あまり覚えていないです。」
「犯人は知っている人でしたか。」
「違うと思います…。」

少々際どい内容だが、これも診察の参考になる。
被害者に具体的なことを聞かなければならないこの瞬間は、いつも胸が痛い。

私は、婦人警官に診察結果を伝えた。
「精液は確認されませんでしたので、確定的なことは言えませんが、この場合、外傷がありますので、婦女暴行があった可能性は否定できません。状況から見て、暴行があったと考えます。」
「分かりました。ありがとうございます。」
検体の事務処理が終わり落ち着いた頃、被害者と婦人警官は、警察署に戻っていった。

レイプという”事件”において、医師が注意しなければならないのは、「外傷」と「精液」の存在だ。
遺伝子鑑定は警察の管轄だが、我々は、膣内や子宮頚管内にいるであろう精子を顕微鏡で確認する。見つかれば、動かぬ証拠。ある意味、分かりやすい。しかし慣れた犯人は、精液を残さない。事件現場にも、だ。
その場合、医療サイドは「襲われて外傷を負った」かどうかで判断をする。
それを間違えると、被害者の今後に影響が出かねない。正直、荷が重い。

それでも、無理矢理襲われれば、性器周囲に外傷が残る可能性がある。
我々の力量は、それを判断する事である。

どんなケースでも警察からは必ず電話で依頼がある。しかし、日中にはほぼ、かかってこない。夜間緊急で依頼されることが多いのだ。それは、何故か。被害者のプライバシーの問題だ。被害者の心情を考え、わざと当直帯で受ける。日勤帯は、人が多すぎる。
仮に日勤帯で受ける場合も、人が少ない時間に来て貰うようにしている。

今回の被害者は、事件発生から10時間程度で診察に訪れた。
しかし、我々が困るのは、事件発生後、数日経過してからの依頼だ。

賢明な読者ならば想像に難くなかろう。
被害者は、事件のショックや嫌悪感や恐怖などで、すぐ警察に行くことが出来ない。特に、被害者年齢が低いほど、その傾向は強い。
レイプ犯との関係にもよるが、事が事だけに、相談する相手がいないことがある。幸い、相談に適する良い人がいれば、説得されて付き添われ、やっとのことで警察へ被害届けを出しに行く。
しかし、その頃には相当時間が経っていることが多い。もし、被害にあったならば、まずは、警察へ。大切なのは、早めの受診、早めの被害届けだ。

時間がかなり経過していた場合、我々は、判定が非常に難しいと知りつつも診察をするのだが、正確に診断が出来ないことがある。大体において、外傷ははっきりせず、残留精液もなく、性器や周囲の外傷が消えてしまっているからだ。

その場合は、被害者の詳しい状況説明が診察のヒントになる。
一例だが、我々はこんな質問をすることがある。

「最後まで抵抗し続けたのか、それとも危険と判断し、言う通りに従ったのか。」
「相手はコンドームを着けていたのか、そのままだったのか。」
「挿入されていた時間はどの程度か。」

覚えている範囲で話してはくれるが、実際にはあまり詳しく話せる人はいない。
…無理もない。

とにかく、婦女暴行の診察依頼は気が重い。
当直をしていて一番むなしい診察の一つだ。


当直中は、ひたすら警察からの連絡が来ない事を祈るばかりである。
posted by 樫野貴之 at 15:52| Comment(0) | 産婦人科のウラ